院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


屋根のない恋人たちに捧ぐ

 

「由都里路(ユトリロ)」とは私のペンネームである。シニカルで諧謔を交えた文章を書くときは自己防衛のため、気障な独り言や素直な感情を吐露するときなどは照れ隠しとして便利なものである。教養ある諸賢はすでにお気づきのことであろうが、ユトリロとは二十世紀初頭のフランスの画家である。私は絵画に詳しくはないが、絵が好きである。いやフランス絵画は少し知っている。いやいや、かなりうるさいと言ってもいい。好きな画家の美術展などがあると、どうにか仕事の都合をつけ、現在雌伏している(別に雄飛しようとは目論んでいないが)地方都市から花の東京へ、その為だけに出かけたりする。しかし最近はその頻度もめっきり減り、かつての情熱も失われつつある。何かと手のかかる豚児二人と自分もついて行くと言い出しかねない細君のせいだけではあるまい。齢を重ねたということか・・・。
ちょっとブルーな気分で話題を転じると、「由都里路」には、都を経由して里の路に至る。という意味も含まれている。これは私の生活環境の変遷を表すだけではなく、さまざまな感情、情報に翻弄され、理想と現実の狭間でいくつもの蹉跌を繰り返していた青春期を経て、平穏で少し退屈な現在に至ることをも暗示している。
そんなアンニュイで、それはそれで不満もなく暮らしていた私の世界に、突如ひとりの魅惑的な人が現れた。私の胸の鼓動はいやがうえにも高鳴り、甘美な初恋のときめきに、あるいはけだるい午後の白昼夢に、私の心は千々に乱れた。

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか。

不惑の惑いはいつしか、細君の知る所となり、ついに私はその人を二人目の寵妾として我が家に招き入れた。その人の名はコペン。2シーター、オープンスポーツ。
思い起こせば、今を去ること十四年前、最初に(自分のお金で)買った車はユーノス・ロードスターという二人乗りのオープンカーであった。青春の一時期を彼女とともに駆け抜け、楽しい思い出も、そうでない出来事も、頭上をすぎる風にゆだねて、太陽と星空の下、私は幸福であった。時は流れ、助手席に乗せた最後の女性が妻となり、二人目の子供が生まれる時にその車を手放した。ワンボックスのファミリーカーが彼女の後釜に座ったのだが、かつて知ったオープンエアーの悦楽は、パンドラの小箱の中で時機を待ち、私はその小箱を封印する術を知らなかった。
コペンは軽自動車である。わずか659cc、64hpのエンジン、全長3.4m、車両重量840kg。この小さな車体には、しかし、ベンツSLKのバリオルーフ顔負けの電動ハードトップが装備される。走り出しは鈍い。2000回転以下のトルクは軽自動車のそれである。が、2000回転を超えるとターボ特有の甲高い吸気音とともに軽とは思えない力強い加速。3000回転以上をキープしながら運転すると、「こいつは紛れもなくスポーツカーだ。」と誰もが認めるだろう。屋根を下ろした時のボディーの剛性低下も気になるレベルでは決してない。ハンドルから伝わるロードインフォメーションもダイレクトで掴みやすく、切り始めのレスポンスも一級品である。唯一気になる点としては、クローズにした時の、屋根とボディーのきしみ音やがたつきが、段差を越える時に賑やかになることくらいか。それとて年期の入ったオープンカー乗りには十分許容範囲ではあるが、一般の人には少々つらいかもしれない。それらの異音は、私にしてみれば「早く屋根をおろして!私を自由にして!」という彼女の甘えた愚痴のようにも聞こえ、それはそれで「ういやつ」と思えてくるので、まさにあばたもえくぼの世界である。
コペンは初代ユーノス・ロードスターとともに、生涯忘れ得ぬベター・ハーフとなることはもはや疑いがない。納車の日の感激を短い文章で書き留めた駄文と芸術性ではユトリロには遠く及ばない愛車のイラストを、屋根のない恋人に捧げて、このエッセイの締めくくりとさせて頂く。

納車の日 神無月の風 青空の下

車のキーを受け取った。コペン。 粋でこしゃくな車だった。色はダークグリーン・マイカ。着慣れたジャケットを着るように運転席に滑り込む。長い間、待たせてくれたね。でも楽しい時間だった。どうもありがとう。そしてこれからもよろしく。
 イグニッションキーを回す。エンジンよりも先に心がふるえた。魔法のレバーを引き上げると、屋根が開いた。青空だった。遠足の日の朝、窓枠から乗り出して見上げた青い空と同じ空だった。生きるための方便としての自由ではなく、生きる目的としての自由を手に入れた瞬間だった。




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